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従兄弟の話

だいぶ、ブログをサボってしまいました・・・

今日は私の従兄弟の話を・・・聞いてやってください


オジオバの数は多いけれど、未婚者・子供無しな人が多いので従兄弟は父方に4人だけ
1人は年上の女性、北海道在中(滅多に会わないので今回は出番無し)
あとの3人は男3兄弟 長男・Kは私と同じ年 次男・Dは3つ下 三男・Yはそのまた1つ下
Kは小さい頃から頭が良くてスポーツ万能、長男として多大な期待を背負い、プレッシャーに負け・・・
大学受験の失敗を引きずり・・・知能と運動神経には恵まれたが何といっても体格に恵まれなかった
身長160センチの私と比べても、Kの方が小さいかもしれない
私もよく知らない色んな事情が絡み合い、現在はやや精神を痛めてしまって療養中

次男のDは兄のKに比べて抜群に体がデカかった もう、ものすごくデカかった
1才で既に近所の3才児よりも大きかった 
3才といえばお喋りも達者な頃だけど、Dは体だけ3才以上で中身は1才だから喋るはずもなく
近所の人達には「あの子、かわいそうな子なんじゃないか・・・」とまことしやかに噂されてたらしい
子供は残酷なもので、叔母はストレートに「ねぇ、Dくんってバカなの?」と何度も尋ねられたのだそう
そんな体格だったから、赤ちゃんのDを抱っこして歩くのも一苦労
叔母は乳児のDを抱えながら妊婦生活を送っていたが、三男のYはDの重みで危うく・・・だったらしい
Dは幼稚園だか小学生の頃に相撲部屋からスカウトされた でも本人は野球に熱中
野球の名門校に進学しピッチャーを務め、甲子園にあと一歩のところで打たれて号泣
今は3兄弟中、唯一の既婚者 その嫁さんのMちゃんがまた面白い人で私とよく遊んでいる

三男、Yは・・・こいつが今日の主人公 とにかくデンジャラスというか愉快というか変テコなヤツ
兄・Dの重みで流産の危機が何度かあったものの無事生まれたYは幼い頃から目つきが鋭かった
その目つきの鋭さはどのくらいかと言うと、確か幼稚園に入る前後の年頃だったか・・・
家の外で遊んでいたら、近所に住んでいたヤ〇ザさんに遭遇し、「良い目つきした坊主だ」と誉められ
将来ウチで面倒みてやる・・・だとか何だとか、とにかくスカウトされてしまった
それを聞いた一家は大慌ててで三鷹から埼玉に引越すことに

埼玉の自然豊かな住宅街でノビノビ育った3兄弟
その中で飛び抜けて可笑しな子はやはりYだった
小学校に入り、新品の連絡帳に初めて記入した連絡事項それは
「クラス内で気に入った女子の電話番号・数件分」であった
明日の持ち物とか宿題は何かとか、そんなことよりも電話番号ゲットが重要
Yのチャラ男生活はこの頃から始まっていたのだった
外に遊びに出かければビニール袋いっぱいのイナゴを捕まえてきて部屋中に放してみたり
無地のTシャツを着てたはずなのに・・・なぜ緑のチェック柄になってんだ?と思えばカマキリを目一杯
ぶら下げて帰ってきたり
竹やぶや洞穴があれば何の躊躇もなく入って行きヘビやらトカゲやら捕ってくる
捕まえて飼っていたヘビが逃げ出して、閑静な住宅街を騒然とさせたのは一度や二度ではない

小学生のときにこの3兄弟とプールや海によく行ったのだがこれまた大騒ぎ
祖母宅から徒歩3分のところにあったプール、そこに辿り着くまでに汗と川の水でズブ濡れになるY
プールではキレイな水着を着た女の人を見ちゃ喜んでいた
海に行ったときなどは帰宅してシャワーを浴びようと海パンを脱いだら・・・
ザザザザーッと音がして目の前に大量の砂嵐が現れた Yは海パンに砂を仕込んでいて
その砂によって6畳間がジャリジャリになってしまった そんなことして何が楽しかったんだか
やんちゃ盛りの男子の行動は意味不明なことが多い

祖母宅には広い庭があって、そこに生えた雑草を電動の草刈機で刈ったり、火炎放射器で焼いたり
焼いた後は豪快に水を撒いたりしていた
暑い上に熱く、面倒で危険を伴う作業なので私たち子供組は家の中から見物していたのだが、
Yだけは外に飛び出して行って邪魔者扱いを受けつつ手伝いにはまったくならない「自称手伝い」をしていた
作業終了後もYは「もっと火をつけろ!」だとか「水を撒かせろ」だとかやかましくつきまといウザがられた
これは冬に焚き火をしたときにも見られる現象で、もっと火を大きくしろだとかイモを焼かせろだとか
消すときの水は俺がブッかける!だとか・・・とにかく火と水が登場すると目を輝かせて1人祭り状態になる
いつしか親族内で「火と水はYの居ぬ間に」とか「火つけのY」などヒソヒソささやかれるようになる始末

私が中学生、Yが小学校高学年の頃だっただろうか 祖母宅で法事が行われた
本当に身内だけの、小規模な法要で自宅の和室で行われた、その法要でのハプニングは強烈だった
長いお経の間、正座をしていた私たち・・・足のシビレが限界状態で巡ってきた子供たちのお焼香
最初に立ち上がった従兄弟長男のKはブルブル足を震わせながら何とか終了
続いて私・・・何と情けないことに痺れた足がもつれてしまい、坊さんが数珠などを入れていた
アタッシュケースを蹴飛ばしてしまった 従兄弟たちからクスクスと笑いがもれる・・・
そして続いた私の妹と弟もそれぞれよろけてコケたりし、従兄弟次男Dも私同様坊さんの物を蹴飛ばした
最後にYだ Yが無事滞りなく焼香を終えるワケがない!と思っていたんだが・・・Yはやっぱりやる男
足がもつれてヨロヨロ歩きになってしまい、こともあろうか坊さんの頭に思いっきり手をついた!
大人達の「あぁっ!!」という声と私たちのこらえても漏れてしまう笑い声が交じり合った
坊さんは首を痛そうに押さえながら帰って行った 

そんなやんちゃなクソガキ・厄介者に思えるYだが、可愛らしい面も多々あって親族内からはもちろん
友達や友達のお母さんからの人気が高かった
人懐こくて明るく、どこか憎めなくて 友達の家に遊びに行くと、いつの間にか遊びの輪から離れて
台所に侵入、友達のお母さんとお喋りをして非常に気に入られるというのはいつものことだったそうだ
好きな女の子は常に数人いて、連絡帳に記入される女子宅の電話番号は確実に増え続けていたらしい
中学・高校生になっても叔母にベタベタくっつき肩に手を回したり、ヒザ枕で寝転んだりしていたのを見て
私の母は素っ気無い自分の息子と比べてものすごく羨ましがっていた
天性の女好きなんだと思う 女の子にやたらと手を出して傷つけたり、たぶらかしたりなどはしない
ただ純粋に女の子という存在が好きなんだと思う とにかく隙あらば可愛い女の子を探していた

中学生のときに北海道・利尻島の伯父宅を訪ね、キレイな海と船の楽しさに魅せられて
将来は船乗りになりたいと言い出したときはビックリしたけど
その後本当に、高校を出てから船乗りになるための専門大学に進学し、卒業後は語学と海を学ぶために
オーストラリアに留学 バイトをしながら学校に通い英語を徹底的に覚えていく、そんな生活を8年もした

8年の間はほとんど会うことは無かった 年に1~2回は帰国していたようで叔父叔母に会ったときは
元気に楽しく過ごしている様子を聞いていた
祖母が亡くなったときにはみんなが集まってる時間に電話をしてくれた Yの声は祖母にきっと届いただろう

2002年2月の私達の結婚式には、たまたま帰国の日時と合い時差ボケのまま出席してくれた
久々に会うYは大人っぽくはなっていたけど・・・南国に住んでいるとあんなにも雰囲気が変わるもんだろうか
呑気というかポワワーンとしていて、中身はそうでもないんだけど外見的にはチャラ男っぽさが増してた
そのとき付き合っていたタイ人の彼女の写真を見せてくれた(その後、破局)
彼女の写真を胸ポケットに忍ばせつつ、私の友人の1人を「可愛い」と気に入り話しかけていた・・・

一昨年、完全に日本に帰国しIT関係の企業に語学力を買われて入社
直後に大きな仕事につかせてもらったとかでエリートコースを歩むことになったらしい
今年に入ってからは会社の近くにアパートを借りて独り暮らしを始めていた

一番最近Yに会ったのは去年の夏 祖母の法事の席だった
Yの周りだけ太陽がゆっくり周っているような、ゆったり行動するYは見てるだけで何となく可笑しかった
あんなにチャカチャカと走り回り、やかましかったYが大人になっていた
でもやっぱりYはYで・・・法事は寺で行われたのだが本堂に入った途端にYはやらかした
坊さんがお経をあげる席に置いてあるデッカイお鈴、それをいきなり叩いて鳴らした・・・
ボォ~~ンと鳴り響く音に振り向く親戚一同 全員の目線の先にはYがニコやかに立っていて
全員が「やっぱりコイツか・・・」と諦めの顔をした
Yはお鈴(結局2回鳴らした)に留まらず木魚もポクッと叩いて私やDの嫁さんのMちゃんに止められた

法事が終わり、食事会が終わり、別れ間際
       「今度、なーネコちゃんちに遊びに行こう~」と言うY 
            「うん、おいでよ~」と答えた私

じゃあねと別れたその瞬間が、永遠の別れになるだなんて予想するはずがなかった
先月末、Yは突然死んだ







6月も終わりに差し掛かったある日 パート先の午前中の休憩に携帯を見ると母からメール
題名は「Y」と名前がそのまま書かれてたのを見て、何も考えずにメールを開いたら・・・
    埼玉の叔父さんから連絡あり Yくんがアパートで病死してたそうです
    これから警察が入るそう

はぁぁ???と、本当に「はぁ?」と大きな声が出てしまった 頭の中は真っ白
何が起きたの?何なの?なに?ワケがわからない・・・はぁ?
悪い冗談だとしか思えない 嘘だと思った
でも淡々とした母からのメールが妙にリアルで冗談では済まない、大変なことが起きている様子がわかった
昼休みになったら電話しよう、と思って無心で仕事をしたけど、無表情なまま涙がツーと出てしまう
Yの笑った顔と叔母(Yの母)の顔だけが交互に浮かんできた
自宅に電話すると母が出た 電話したものの何を話していいかわからないまま、切った
昼食は半分も喉を通らなかった

頭がパニックのまま1日の仕事を何とか終えて帰宅する途中、また母からメール
明日、荼毘にふせるという 急な展開すぎてまたもやパニック

翌日、真新しい喪服を着て都内の斎場へ夫と行った
Yのために喪服を新調したんじゃないのに・・・とワケのわからない文句しか口から出てこない
斎場に入って叔父と叔母の姿が目に入ったら、もう色んな感情が溢れ出てきて涙が止まらなくなった

本当なんだ・・・Yは死んじゃったんだ

月曜の朝、Yは会社を無断欠勤した
Yの会社は大きなストレスを抱えた人が多く精神的に参ってしまい
突発的に旅に出てしまう、引きこもるなど無断欠勤は珍しくないのだそう
でも初めて無断欠勤をしたYを心配して会社の人がアチコチに連絡をしてくれた
その結果、叔父叔母が翌火曜日の朝にYのアパートに駆けつけ鍵を開け、Yを発見
警察で調べたところ事件性は無く病死で既に3日前に息絶えていたのだった

独り苦しんでいたのかと思うとまた涙が止まらない
会社の健康診断は4月にあったが忙しくて受けられず、7月に受ける予定になっていたのだそう

損傷が激しく、Yの可愛らしかった顔を最後に見ることが出来なかった
シートに包まれ棺に納まったYを花で埋め尽くした
昔、いつも集まっていた本当に近い身内だけが見送ったのだが、誰もが泣くか呆然と立ち尽くすかで
何もYに向かって声をかけてやることが出来ない状態だった
本当にYなの?これYなの?違うんじゃないの?・・・可哀想に可哀想に・・・みんなそれしか思いつかなかった
叔母は気を失って倒れた その体をDがしっかりと抱えていた
私と妹は母に「絶対、絶対にお母さんより先に死なないよ」と誓った

戒名も遺影もまだ無い状態で、Yの体は小さな壷に納められてやっと自宅に帰った

翌々日、親族と親しかった友人だけで告別式を行った
多少、気持ちが落ち着いた状態で出席したけどやっぱり祭壇の遺影を見たときは泣けた
Yは29歳10ヶ月だった そんなに若くして死んでしまったのに、遺影のYは19歳のときの姿だ
友人が多かったY 遺影を見て泣いてくれるお友達がたくさん居て、ありがたい・・・?良かった・・・?
いや、優しい大事なお友達を泣かせるなんて、Yはバカだ

親戚一同の中で一番若かったYが逝ってしまった
5月にはYが船乗りになりたいと言うきっかけとなった利尻島の伯父が亡くなっていた
余命宣告よりも2年も早くて、その寂しさがまだ残ってて49日法要を終えたばかりだったというのに
親戚一同、どうしようもない悲しみのドン底に突き落とされ とてつもなく大きなショックを受けた
Yのことなんか今まで、年に何回思い出すかな?ってくらいだったのに
あの日以来、毎日毎日思い出さない日は無い

こんな話は読んでくださる方にとってもショッキングかと思うので、書こうかどうしようか迷ったんだけど
Yが生きてたその期間に一緒に過ごした思い出が、色褪せないうちに記録しておきたい気持ちと
若くて元気だし~便りが無いのは元気な証拠!という考えはどうか改めていきましょう
そんな思いがあって書きました
それから私自身の・・・このことを吐き出して少しでも気持ちを切り替えたい、という勝手な思いもありました
若くて元気、だからこそ健康診断を受けて、実家にはマメに連絡して、もちろん職場には無断欠勤NG!
真面目な勤務態度でいたいものです じゃないと、何か起きたときに心配してもらえないよ!

先日Yの初めての月命日を迎えました 早いものです・・・
私や親族達の気持ちも少しずつ、落ち着いてはいます
が、Yを永遠に失ったことに変わりはない 
それは今後時間がたつにつれ、Yが居ない寂しさをますます実感するのでしょう
でも、いつまで泣いて悲しんでたってYは戻ってこない
だから残った私たちは、毎日今、この1分1秒を大切に楽しんで生きて行こうねと思います


  最後にYへ
   たくさんの思い出をありがとう
   一緒に過ごせた時間は楽しかったよ・・・必要以上にデンジャラスでね!
   あの世に行って、永遠の29歳だぁ~!って思ってるかもしれないけども
   私はこっちで、みんなと「あのYももう30歳過ぎたね~ププッ」って笑うために
   ちゃんと毎年、歳を取らせるからね!
   それから、そっちでジイちゃんとバアちゃんと利尻島の伯父さんを探して会いに行くんだよ
   そして「来るのが早すぎるよ!バカだねぇ~」って叱られなさい!


長々と読んで頂きありがとうございました
こんなワケでブログもサボっておりましたが・・・
8月は写真も載せて、笑える話題を書きたいと思います
チョコカリン、沈んだ私の心を癒してくれました 元気に過ごしております
by nahneko | 2009-07-28 19:57 | 家族
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